年齢を重ねていく過程で,
できることなら避けたいと誰もが願うもののひとつが
認知症ではないでしょうか。
『アルツハイマー病になった母がみた世界―ことすべて叶うこととは思わねど』
(齋藤正彦著・岩波書店)は,
認知症を専門とする精神科医が,
アルツハイマー型認知症を発症したお母様の日記を元に
お母様が自身の症状をどのように認識し,
対処しようとしていたかを分析することをひとつの目的として書きあげた本です。
料理や編み物が得意なお母様は,
70代にしてエアロビクスや水泳,ピアノ,習字,スペイン語を習い始め,
長年続けられていた短歌のみならず古典や聖書の勉強会にも参加し,
さらには自宅に複数の留学生を招いて日本語を教え…と
知的かつ感性豊かで好奇心旺盛な,とても行動的な方でした。
ところが,70代半ばごろから日記に少しずつ“ほころび”が見え始めます。
驚いたのは80代に入り,
日記に時間や場所の勘違い,忘れ物や料理の失敗に関する記録が増え,
明らかな認知症の症状がうかがわれるようになっていたにもかかわらず,
大学病院で受けたいわゆる知能指数を測る試験では,
同年代の人の平均をはるかに超えていたことです。
理解力や判断力は高く維持されたまま記憶力が落ち,
時間や場所がわからなくなる見当識障害が進んでいくことは,
どれほどの苦しさ,悲しさだったでしょうか。
日記には自分がどんどん変わっていくことへの恐怖とともに,
それでもなお
自身を叱咤激励し,人の手を借りながらも
なんとか最後まで生き切ろうとする切実な思いがつづられていて,
胸に迫るものがありました。
結局,
年を重ねていくことは認知症のリスクを負うことと覚悟し,
その
症状とどのように向き合っていくかが大事なのだろうと思います。
そしてその向き合い方には,それまでの生き方が
大きく反映されるのだと感じました。
この本のサブタイトル
「ことすべて…」は
もはや日記どころかメモを残すことすらできなくなったお母様が,
施設の部屋でひとりペンを握って詠まれた
最後の短歌です。
下の句は,ぜひ本でご確認を。
そして,著者の齋藤先生がこの本を書かれたもうひとつの目的も,ぜひ。
(梅)