11年と半年にわたった寝たきりの生活を,ようやく母が終えました。
元気なころ,車椅子に乗った高齢者が
介護を受ける様子をテレビで目にするたびに,
「あんなになるまで生きていたくないわ」
などと言っていた母が,たった一晩でナースコールすら押せなくなった
自分の姿を受け入れるのは,容易なことではありませんでした。
ふたりきりになれば
「殺してほしい」「なぜ日本には安楽死制度がないのか」
などと口にすることもありました。
私や姉の喜んだ,倒れた後も母の認知機能が正常に保たれていたことが,
母にとっても幸せなことであったのかどうか。
そんなことを考えたこともありました。
寝たきりにならないように,介護が必要になって迷惑をかけないように,
と呼びかけるサプリメントや運動器具のコマーシャルをよく見かけますが,
母のように,子供たちに迷惑をかけまいと食事に気を使い,
まめに体を動かし,定期的に健診を受けていても,
介護が必要な状態になることは誰の身にも起こりうると思います。
ただ介護を避けることだけを呼びかけるのではなく,
誰もが介護が必要になりうるということを前提にしなければ,
この社会は誰にとっても生きづらいものになってしまうように思います。
11年半の間に,母が自分の姿をどのように受け入れたのか,
あるいは受け入れることはなかったのか,
そんな話をする機会を持てなかったのが悔やまれます。
ただ,ここ1~2年は施設の方と得意の歌を楽しむことがあったということ,
いわゆる老衰による最期だったので,
痛みに苦しむことはなかったであろうことが救いでした。
母の死から一週間が過ぎた頃,台所の流しの下の奥から
「2004 カリン レモン少々」
という母の手書きのラベルが貼られた瓶が出てきました。
母が終の棲家と決めながら,とうとう帰ることのなかった自宅に植えられていた,
カリンの実で作られた果実酒でした。
カリンの実は,包丁が入ることを拒むような硬さのあるものですが,
18年の時を経たそれは,かたちを失って瓶の底に沈み,
その上には澄んだ淡い黄金色の液体が静かに横たわっていました。
大事なのは母が自分を受け入れたかどうかということではなく,
最後まで生き切った,ということかもしれません。
お酒の飲めない私ですが,
来月の四十九日には,この果実酒で献杯をしようと思っています。
(梅)