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死んだ義父の残したものは

2018年7月26日

七夕の朝,義父が亡くなりました。

肝臓に3センチほどの腫瘍を指摘されたのは約5年前。
でも義父は,妻にもふたりの息子にも,誰にも伝えませんでした。
いくらでも治療手段はあったかと思いますが,治療は一切受けず,
馴染みのかかりつけの先生にエコーで定期的に診てもらっていただけでした。

私たちがそのことを知ったのは,ちょうど1年ほど前,
熱中症で搬送された病院から,
「ご家族の方にお話が」との連絡を受けたときでした。

15センチにもなった腫瘍をCTで見せられ,
「ご本人は治療を望んでいらっしゃいませんし,
実際もう効果が期待できる治療法はありません」
との医師の言葉に唖然とする私たちに向かって,
「80すぎまで生きたんだから,もう寿命ってことだよ」
と義父は笑っていました。

その後も自覚症状を訴えることはなく,
今年の5月,身内の食事会でもひとりだけ完食するほどで,
以前と変わらぬ日常生活を送っていました。
6月に入った頃に,「岩手の兄弟に挨拶に行ってくる」とひとりで出かけ,
1週間後に帰るや具合が悪いと自ら入院を希望しました。

痛みを訴えることはありませんでしたが,
その2週間後に緩和ケア病棟に移動。
入院からちょうど1カ月目の早朝に,
看護師さんに見守られて亡くなりました。
眠るように亡くなられました,とのことでした。

亡くなった後,義父の部屋を見せてもらいました。
これといった持ち物は何もなく,
驚くほど部屋はがらんとしていました。
私達に残されたものといえば,
入院のときに身につけていた眼鏡と腕時計,
電気剃刀に読みかけの時代小説が一冊だけ。

人は亡くなるとき,それまで手にしていたものを
ひとつひとつ手放していかなければならない,それが案外難しい――
長年ホスピスにいらした看護師の方の言葉です。

元々おおらかで好き嫌いがなく,こだわりもない性格のようでしたが,
過去に大きな過ちを犯して以来,
積極的に人生を楽しむということから距離を置いていたかのような義父でした。
自覚症状の出づらい肝臓がんだったとはいえ,
発病後もいつもどおりの日々を送り,穏やかな最期を迎えられたのは,
そんな義父の生き方が何かに認められ,許されたということかもしれません。

葬儀は本人の希望で無宗教,家族葬で行い,
同郷の宮沢賢治が作詞・作曲したという「星めぐりの歌」で見送りました。

83年の義父の人生と,暑い一日が終わりました。

(梅)
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