早いもので2016年も残りわずか。そろそろ仕事納めですね。
お正月は久しぶりに実家に帰る,という方も多いのではないでしょうか。
年に一度,親族が集まって近況報告,という展開もありそうです。
さあ,そんな時こそチャンスです。
ご両親に,「最期はどこで,どう迎えたい?」と尋ねてみてください。
正月早々なんと縁起の悪い,と思われるかもしれませんが,
そもそもかの一休さんの作と言われる狂歌
門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
からもわかるように,昔は誕生日ではなくお正月に歳を取ると考えていたので,
ひとつ歳を取る=一歩死に近づく,ということから,
お正月は “めでたくもあり めでたくもなし” だったのです。
最期をどうしたいか,なんて,電話やメールではなかなか聞けることではありません。
表情や声の調子から,言葉とは裏腹の気持ちがわかることだってあります。
まだまだ元気だし,先のことだろう,なんて思っていても,
人間70も過ぎればいつ何が起きても不思議ではありません。
連絡を受けて駆けつけたときには本人と意思疎通できない状態だった,
ということも十分ありえます。
そうなってからでは遅いのです。
自分には延命処置は不要,と思っているのに,
親のこととなるとどんなことをしてでも生かしてほしいと医師に依頼し,
結果,チューブにつながれてただ眠っているだけの親を前に,
これでよかったのだろうかと後悔する方がいます。
元気な頃に本人の希望を確認していれば,
自分だけが責任を負わされているような思いをすることはないでしょう。
あるいは,延命処置は不要と医師に伝えたのに,
あとから病室にやって来た遠くの親戚から
「何もしないなんて」などと言われて押し切られ,
思いと反する状況になってしまう方もいます。
これは,医療現場の混乱にもつながります。
また,これからは病院では死ねない時代になります。
いざ,在宅で最期を,となったとき,
実家のある自治体ではどのような社会資源があって,
どのような介護体制を整えることができるのか。
兄弟や親戚と,そんなことを調べたり,
話し合ったりしておくのもいいかもしれません。
備えあれば憂いなし,です。
とはいうものの、長年にわたる介護の末に肉親を看取った方に言わせると、
後悔のない介護などなく、
また、多くの患者さんを看取ってこられたある医師の方は
「死とは、思うようにならない」
とおっしゃっています。
そんなものかもしれません。
ではみなさま,よいお正月を。
そして来年も医薬情報研究所を,どうぞよろしくお願いいたします。
(梅)