昨年10月,横浜市で安楽死についてのパネルディスカッションが開催され,
その記録を今月10日発行の『新薬と臨牀』2月号に掲載させていただきました。
(神奈川県内科医学会 健康長寿社会を目指す委員会主催
「安楽死を考える~医師による死の幇助・医療措置の中止・最期まで延命措置,
私たちの選択は?~」)
進行性の神経難病を発症した日本人女性がスイスでの安楽死を希望し,
望みどおり現地で息を引き取るまでを記録したNHKスペシャル
『彼女は安楽死を選んだ』(2019年放映)を見たひとりの医師が,
“自分の患者に「スイスに行きたい」と言われたらどうすればいいのだろう?”
と考えたことから企画されたパネルディスカッションです。
先の番組や2018年の公立福生病院における透析中止問題,
昨年の京都ALS患者嘱託殺人事件を受け,
安楽死や尊厳死に関するシンポジウムやセミナーが多く開かれるようになりました。
それらと今回のパネルディスカッションが少し違うのは,
安楽死・尊厳死を研究する生命倫理学者や緩和ケア医に加え,
病院で活動する宗教者である「チャプレン」と
「臨床宗教師」の方が参加されているところです。
医療従事者や研究者だけで議論されることの多い「安楽死」ですが,
できれば患者さんやそのご家族など周りの方を含む一般の方,
さらには宗教や哲学,文学などいろんな領域の方に加わっていただいて
オープンな議論を重ねるべきだろうと思います。
ただ,そもそも「安楽死制度」って必要なんでしょうか?
“日本人の7割が安楽死制度に賛成”という過去のアンケート結果がありますが,
一部の国や地域で行われている安楽死の現状を知った上での
賛成意見とは思えません。
パネルディスカッションでも指摘されていますが,
安楽死は決して「安らかで楽な死」ばかりではないのです。
また,「潔い引き際」を良しとする風潮があり,
かつ同調圧力の強い日本では,安楽死を選んだ人と同じ境遇の人が
「私は生き続けたい」と言い続けることが困難になる可能性が指摘されています。
そもそも死を望む人に真っ先に死を差し出す社会は,ちょっと寂しい。
海外では「医師による死の幇助」(安楽死)を認める国や地域が
じわじわと増えており,日本でもいずれ検討されるようになるかもしれません。
でも「死」が制度に取り込まれるようになれば,
市井の人の死であっても,「死」は個人的なものではなくなるだろうと思います。
安易に賛成する前に,まずは知ること,
あれこれと想像することが大切かと思っています。
(梅)