そもそもこの連載は,2015年に京都で開催された日本医学会総会で,
死生学を自主的に学ぶことにしたというある医学生さんの
“私達は将来,医療者という死を扱う職業に就くが,
大学では生物モデルに対するアプローチしか学んでいない”
という発言が印象に残ったことから企画されました。
長年,終末期医療に取り組んでいる医療者は,
どんな死生観をもって現場に立ち続けているのだろう――?
多くの人を看取る立場にある医療者に,
自身の「死生観」について書いていただくという,
言ってみればミもフタもないような企画。こんな依頼を,
忙しい先生方が果たして引き受けてくださるのかどうか。
しかし,そんな不安に反して,医療者だけでなく,
死生学研究をされている宗教学者,
看取りの現場や東日本大震災の被災地に立ち続けるシスターや僧侶も含め,
お声掛けした20人すべての方が快く引き受けてくださいました。
依頼の際は「死生観をテーマに」とお伝えしただけで,
細かい規程などは設けませんでした。
そのせいでしょうか,「死生観」をテーマとしながらも,
内容は最近関心の高まっている“在宅での看取り”や,
日本ではまだなじみの薄い“スピリチュアルケア”,
あるいは“死の受容の文化的考察”といった少々硬いものから,
筆者個人の“終活”,“遺される覚悟”といったものまで,
たいへんバラエティに富んだものとなりました。
一貫しているのは,“死が教えてくれたこと”。
終末期医療の最前線で,多くの命が奪われた被災地で,
「死」から何を感じ,教わったのか。
平和な日本では,「死」を身近に感じたり,
「死」についてあれこれ考えたりする機会はなかなかありません。
むしろ縁起でもないこととして,遠ざけられているように思います。
でも,この連載を担当して,「死」についてあれこれ考えることは,
決して“縁起でもないこと”などではないということをあらためて感じました。
むしろ,「死」についてあれこれ考えることは,
「今を生きること」について考えることである,と。
それは,本に登場される先生方がみなさんとても魅力的な方であるということと,
無関係ではないと思います。
ホスピスの世界では“ディープに生きる”という言葉をしばしば目に,耳にしますが,
まさにみなさん,“ディープに生きている”方ばかりでした。
人が人との関係性の中で生きている以上,
誰もがいつか,誰かを看取る存在になりえます。
この本は,そんな“看取るあなた”へ,
「死」について考え続ける20人からの贈りもの。
『看取るあなたへ』,ぜひ書店で手に取ってみてくださいね!
(梅)