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水木しげるの死生観

2016年8月25日

先月の終わりに,境港に行ってきました。

境港といえば水木しげるさんです。
お生まれは大阪ですが,生まれてすぐに境港に移られたためか,
“境港出身”として知られています。

水木しげる漫画に登場する妖怪のブロンズ像が点在することで知られる
“水木しげるロード”の入り口には,こんな水木先生の像が。
台座の“なまけ者になりなさい”という言葉を目にとめた年配のご婦人が,
「水木しげるが言うから許されるのよねえ」と夫らしき人に言って立ち去っていきましたが,
ちゃんと像の横に刻まれた水木先生のお言葉も読みましょう。

“若い頃は火の玉みたいにがんばらんとイカン,
でも中年を過ぎたら愉快になまけるクセをつけないと
いつまでもシアワセになれません”


名言ではありませんか。

さて,水木しげるロードの終点近くには水木しげる記念館があります。
多くの作品を紹介するコーナーのほか,直筆の壁画や遺品,妖怪オブジェなど,
大人も子どもも楽しめるように工夫された楽しい記念館です。
印象的だったのが水木さんの年譜のコーナーです。
通常は無味乾燥になりがちな年譜ですが,
水木さんの人生そのものが起伏に富んだ一大物語だからでしょうか。
たっぷりとスペースがとられていました。
その長い年譜のなか,水木さんが10代後半で戦地に赴く前にさまざまな哲学書を読んだという箇所があり,
こんな文言が目につきました。

“当時は多くの若者が,死生観の答えを求めて哲学書を読みあさっていたのです”

平和な時代であれば,さまざまな経験を重ねて,
何十年とかけてみつける(あるいはみつからないかもしれない)“死生観の答え”を,
10代後半の若者が必死に求めていたということに,胸が詰まるような思いがしました。

“死生観”を特集した「週刊ダイヤモンド」8月6日号によると,
30~79歳の日本人1万人を対象としたアンケート調査の結果,
「自分なりの死生観がある」と答えたのはわずか9.5%。
自分の死について「深く考えたことがある」「ある程度考えたことがある」と回答した人に
そのきっかけを尋ねたところ,トップは「身近な人との死別」(33.6%)でした。

10代後半にして差し迫った“自分の死”をきっかけに,
自分なりの“死生観の答え”を見つけようともがいた戦時中の若者との差に愕然とします。

そして,長年にわたって多くの患者さんを看取ってこられたある先生が,
“最近の日本人は死についてあまりにも何も考えていない”,
と嘆かれていたことを思い出します。
“死”を直視しなくてもいい時代,国に生まれたことは喜ばしいことかもしれませんが,
自分の死も身近な人の死も受け入れられずに苦しむ人が増えているということと,
“最近の日本人は死についてあまりにも何も考えていない”こととは,
無関係ではないように思います。

さて,記念館の出口付近には,さまざまな“水木語録”が展示されていましたが,
そのなかにこんな言葉がありました。

“要は虫とか植物みたいに自然に順応しながら『屁』を出しているのが一番幸せなのかも知れない。
時には屁を止めたり,溜めてみては大きな屁をひねってみるというのも面白いだろう。
要するにすべては屁のようなものであって,どこで漂っていても大したことはないようである”。


この言葉を虚無的と受け止めるか,水木しげるが言うから許されると受け止めるか。
私には,ラバウルで死線をさまよい,爆撃で左手を失いながらも生還した水木さんが,
その後何十年かかけて手にした“答え”がここにあるように思えました。
※境港ヘは米子~境港間を走るJR西日本の“鬼太郎列車”をお勧めします。
外装も内装もすばらしいうえ,米子駅0番線から発車,というのも洒落ています。
(梅)
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